出雲苔

いずものり

 出雲国、島根半島十六島岬を中心に産した甘海苔。室町期からは「出雲」あるいは「十六島」の名を冠して呼ばれるなど、ブランド化されて珍重された。

 平安期に成立した『延喜式』では、出雲国の納めるべき調の雑物として紫菜(岩海苔)が規定されており、古くから中央に特産物として貢納されていたことが分かる。

  出雲の海苔は平安末期から鎌倉初期成立の『堤中納言物語』にも「出雲の浦の甘海苔」とみえる。鎌倉期には北条一族の金沢貞顕が金沢・称名寺に佐渡や伊勢の海苔とともに出雲産の甘海苔を贈っており、出雲の海苔は既に全国的に名が知られていたことが窺える。

  出雲の海苔は室町期からは茶の湯の際に用いられるようになる。『続庭訓往来』に「茶の湯法」の中の茶の子の一つとして「出雲苔」があり、『尺素往来』にも「出雲苔」が挙げられている。特に十六島(うっぷるい)岬産の海苔は「十六島」の名が冠されて呼ばれ、応永年間(1394-1428)、京の聖護院の茶席での献立に「十六島」がみえ、文明十五年(1483)の『蜷川日記』にもこの名がみえる。

 文明二年(1470)、出雲守護・京極持清が守護代・尼子清貞に「隠岐所々廻舟」の「美保関役」を小浜で徴収するよう命じており、出雲苔もこれらの廻船によて小浜や敦賀など若狭の港に陸揚げされて京都方面にもたらされたと思われる。

参考文献

  • 宮下章 『海苔 ものと人間の文化史111』 法政大学出版局 2003