長浜

ながはま

 石見国中部、広く湾曲した浜田湾の南側に位置する港町。15世紀以来、石見の国人の中で唯一朝鮮との正式通交が認められていた周布氏の外港として、朝鮮交易の拠点を担った。

長浜の遠景。

朝鮮との通交

 周布氏の朝鮮通交は応永三十二年(1425)、長浜に漂着した張乙夫ら十人の朝鮮人を周布兼仲が対馬経由で朝鮮に送還したことを契機として始まり、以後、文亀二年(1502)までの約八十年にわたって継続されたことが確認される。

  張乙夫らの送還に際し、周布兼仲は彼らをまず対馬に護送した。そこで対馬の実力者・早田左衛門太郎として丹木、胡椒などの進上品を整えたうえで朝鮮に送還している。
  『朝鮮実録』には対馬の宗盛弘配下の者が朝鮮で略奪を行い、密かに石見に行って売買を行うことを「生業」としていたと記されている。周布氏が朝鮮人の送還を行えた背景として、このような朝鮮-石見を結ぶ民間の交易ルートが存在したことがあるとみられる。

  周布氏はまた文安四年(1447)からは朝鮮から「図書」(通行者に与えられる印章)を与えられ、以後、歳遣一船の定約に基づく通交が行われた。通交に伴う交易の内容は明らかではないとされるが、朝鮮からは主として絹、紬、綿布など、周布氏からは石見産とみられる刀剣、朱椀、透漆、蝋燭、それから対馬で入手したとみられる南海産の丹木、胡椒などが輸出されたという。

長浜の町並み。海岸線に並行するメインストリート沿いに古い町並を残している。

明国に知られる

 嘉靖四十一年(1562)に明の鄭若曽が著した『籌海図編』では、日本の石見州に「南高番馬」がみえる。これが長浜に比定されている。当時、中国でもその名が知られていたことが分かる。

Photos

討心寺の裏山から眺めた長浜の町。 長浜の町並み2 長浜の町並み3 訂心寺。元は海潮寺といったが、周布元兼によって現在の地に移され、寺号を討心寺と改めて周布氏の祈願所となったという。

神社・寺院

  • 大島天満宮
  • 訂心寺

参考文献

  • 井上寛治 「中世西日本海地域の水運と交流」 (『海と列島文化2 日本海と出雲世界』) 小学館 1991