バルス
ばるす
インド洋に面するスマトラ島北西岸の港湾都市。バルス王国の王都。スマトラ西岸の寄港地として、また竜脳や安息香、金の積出港として栄えた。
中国の地理書にみえる
中国では13世紀初めに成立した地理書『諸蕃志』に竜脳の産地としてバルスとおぼしき地名が確認できる。また15世紀初半の鄭和に『航海図』にも、バルスと思われる地帯に「班卒」と記してある。
スマトラ島西岸航路の寄港地
15世紀後半頃にアラブ系航海案内者のスライマーン・アルマフリーが著した航海書には、ファンスール(バルス)を経由してスマトラ島南西岸を回る航路が記されている。既にこの頃にはマラッカ海峡を経由せずにアラブ地域と東南アジアを結ぶ航路が存在していたことがわかる。バルスはムスリム商人たちにとってもスマトラ西岸の重要な寄港地であった。
重要性を増すスマトラ島西岸航路
1511年、マラッカがポルトガルにより占拠される。以降、マラッカ海峡の通過を嫌うムスリム商人達により、このスマトラ西岸航路の重要性はさらに高まっていく。16世紀初め、ポルトガル人のトメ・ピレスはスマトラ島の西海岸を回ってバルスを訪れた。彼の著した『東方諸国記』によれば、バルスにはスマトラ島東岸のパサイやアルからの商人も商品を持ち寄っており、きわめて繁栄した港市となっていたという。
竜脳と安息香の積出港
バルスで取引された主要商品は後背の森林地帯から運ばれる竜脳や安息香といった森林生産物だった。17世紀後半にバルスに商館を設けたオランダ東インド会社の記録からは、内陸のシリンドゥンとパッサリブの人々がバルスに良質の安息香をはじめとする森林生産物を持ち寄っていたことが分かる。
下バルス王家の伝承によれば、初代の王・イブラヒムはバルスに町を造る前に上記の森林生産物産地や稲作地帯のトバ湖畔バッカラを巡回したといい、バルスと内陸の産地が当初から密接に結びついていたことがうかがえる。
商品
- 安息香
- 竜脳
参考文献
- 弘末雅士 「東南アジアの港市国家と後背地」 (『佐藤次高・岸本美緒 編 『地域の世界史9 市場の地域史』 山川出版社 1999)