津島牛頭天王社(津島社)
つしま ごずてんのう しゃ
京都の祇園社(八坂神社)と同じく牛頭天王(インド祇園精舎の守護神)を祀る神社。中世、尾張国を中心に防疫の神、水の神などとして広く信仰された。特に戦国末期から織豊期にかけては津島社と縁が深い織田信長や豊臣秀吉の保護、寄進を受けて、飛躍的に信仰圏が拡大した。
社伝によれば欽明天皇元年(540)の創建とされるが、延長五年(927)に完成した『延喜式』の「神名帳」には名が見えない。ただ、尾張国で承安五年(1175)に書写された大般若経の巻末には「七寺鎮守十五所権現大名神」の一つとして、伊勢内外宮、白山、熊野などとともに「津嶋」の名があり、この時期には尾張国内で強い信仰を得ていたことが分かる。
また『吾妻鏡』文治四年(1188)二月二日条には「尾張国津嶋社板垣冠者」が荘園の年貢を納めないと領家に訴えられており、津島社の勢力拡大がうかがえる。
戦国期、津島社は勝幡城を拠城として津島を支配する織田弾正忠家と深い関係があった。天文九年(1540)、織田信秀は借銭、質物で退転した神主・氷室兵部少輔の帰宅をとりなし、天文二十二年(1553)、織田信長は禰宜・河村九郎大夫の借銭を無効にし、父・信秀と同じく社領を安堵している。また後年の『摂津名所図会』によれば、摂津国嶋下郡茨木では、信長の産土神、氏神は津島社であると認識されていたことが分かる。
愛知県津島市神明町
関連人物
- 氷室兵部少輔
- 織田信秀
- 織田信長
その他の関連項目
参考文献
- 小島廣次 「津島とお天王さま」 (『海と列島の文化8 伊勢と熊野の海』 小学館 1992)