能美 嘉次
のうみ よしつぐ
毛利家臣。宣仍の嫡子。弟に時経。与三、後に与左衛門。生年は享年からの逆算で元亀元年(1570)か。
家督相続前から毛利輝元に仕えた。天正十三(1585)年七月に輝元の加冠で与三の仮名を得る。慶長四年(1599)十月に改めて与左衛門の仮名を与えられた。
慶長十六年(1611)四月、父宣仍の知行二百石のうち四十五石を分割して譲られ、分家を立てた。嘉次の知行は以前のものと併せて六十石となった。なお本家である父の跡は嘉次の子(宣仍の孫)である元古が継ぐこととなった。嘉次の知行は寛永二十二年(1645)正月、子の宣次に譲られた。その際の知行地は長門国阿武郡徳佐村の内の五十石となっている。慶長十六年に宣仍から分けられた知行地が引き継がれていると思われる。
万治二年(1659)三月十九日死去。享年八十九歳。