能美 弘助

のうみ ひろすけ

 大内家臣。土佐守。実名の「弘」は大内政弘からの偏諱か。大内氏の分国支配に吏僚として関わった。安芸国能美島を本貫とする能美氏の出身とみられる。

 永正十七年(1520)、「長門国寺社奉行」の役職にあった(「高嶺大神宮御鎮座伝記」)。長門国寺社奉行は大内氏が分国各国に定めた国寺社奉行の一つ。管轄国内の寺社・寺社領問題のことを取り扱ったといわれる。

 大永七年(1527)十一月には豊前国上毛郡郡代として、修験道の名山である上毛郡求菩提山と如法寺依康の所領争論に関わった(「求菩提山文書」)。争論は求菩提山の勝訴となり、大内氏の山口政庁は係争地を求菩提山に打渡すよう郡代弘助に命じている。

 大内義興末期から義隆初期頃、弘助は周防国佐波郡松崎天満宮(防府天満宮)の社坊・大専坊宛に出された大内氏被官連署書状に加判している(「防府天満宮文書」)。豊前国から周防国に異動し、山口政庁の吏僚となっていたとみられる。

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関連人物

  • 大内政弘
  • 如法寺依康

その他の関連項目

参考文献

  • 藤井崇 『大内義興 西国の「覇者」の誕生』 戎光祥出版 2014