納屋 助左衛門
なや すけざえもん
16世紀中ごろ以降、海岸に納屋(倉庫)を持ち、堺の自治を担当した納屋衆の一人。 架空の人物ともいわれる。
商人としての詳細は不明ながら、その豪邸は襖絵・屏風絵を狩野永徳が描き、七宝がちりばめられるなど贅を極めたつくりとなっており、招かれた松永久秀が柱に刀で傷をつけ、その贅沢をいましめたという。
助左衛門は文禄二年(1593)、ルソン(フィリピン)に渡航し、翌年帰国した際に堺代官・石田杢助を通じて豊臣秀吉に傘、蝋燭、麝香鹿、そして呂宋壷五十個を披露している。このように助左衛門は東南アジアの物品、特に茶人の間で流行していた珍奇な茶器・呂宋壷を取り扱うことで大きな利益を上げ、そのためルソン助左衛門とも呼ばれた。
その後、秀吉の怒りに触れたため、その豪邸を大安寺に寄進し(移築されて現存)、日本を離れてカンボジアへと移住したという。