栗林 助左衛門
くりばやし すけざえもん
戦国期の大内氏被官。「分国中諸商人司」の任にあった。
分国中諸商人司
年未詳九月十一日、大内氏重臣・陶隆房の家臣・江良房栄が厳島社家・野坂左近衛将監に宛てた書状に、「御分国中諸商人司之事」が去年以来、中間・栗林助左衛門に申し付けられていることが記されている。推定される「商人司」の職務内容から、助左衛門は被官化した有力商人であり、大内氏領国全域において同氏の経済政策に関わっていたと思われる。
この書状の内容は、厳島神社の法会に際して諸国の商人が厳島に集まるため、その統制のために栗林助左衛門が派遣されたことを知らせるもの。続けて、栗林の事は陶隆房もよく知っているので、そのあたりもふまえて彼の指示に従うように、と指示している。
陶隆房の商業振興策
陶隆房(晴賢)は流通政策では京堺商人らの要請を受け入れ、これまで能島村上氏らが厳島で徴収していた「唐荷駄別役」の徴収を否定する方針を打ち出している。これは厳島における商業振興政策の一環とみられ、天文二十一年(1552)二月、厳島の地下人や来航する商人らのへの不法行為や警固米、公事の徴収を禁じた掟書を発布し、厳島における商人の活動を保障している。
これらは、厳島支配と商人誘致を狙ったものとみられ、栗林助左衛門はこの「掟」の実行、実現のために統制、監視役として厳島に送り込まれたのかもしれない。
関連人物
- 陶隆房
- 江良房栄
その他の関連項目
参考文献
- 鈴木敦子「地域市場としての厳島門前町と流通」(『日本中世社会の流通構造』) 校倉書房 2000