生口 元清

いくち もときよ

 15世紀末ごろの小早川庶子家・生口氏の当主。 『小早川家文書』の中の系図に、小早川敬平の兄弟の一人として生口元清がみえる。

畿内への従軍

 延徳三年(1491)八月、将軍・足利義材が近江守護・六角氏を討伐するために出陣し、近江・園城寺に陣をしいているが、このときに生口氏をはじめとして浦氏や梨子羽氏、土倉氏ら沼田小早川氏の六庶子家が門警備の役を勤めている。出陣に際して六庶子家は連名で沼田小早川惣領家の敬平に対し、軍勢動員に応じる代わりに国許のことについて心配りをしてくれるよう求めているが、そこに生口氏の代表者として「生口元[糸青]」が名を連ねている(『小早川家文書』)。この人物が前述の系図にみえる元清であろうといわれる。

 惣領家・小早川敬平は幕府奉公衆として将軍に従軍していたとみられ、元清もまた軍勢を率いて上洛し、兄でもある敬平と行動をともにしていたと思われる。またこの時、小早川庶子家衆は円城寺の陣門の警備を籤で決めており、「生口方」は三番となっている(『小早川家文書』)。

惣領家から生口氏継承

 生口氏は初代の惟平以来、公実守平と受け継がれてきた。惣領家出身の元清がその家督を継承した事情は不明だが、元清が当主となることにより、生口氏は改めて惣領家との協調関係を強めていったと考えられる。

関連人物

  • 小早川熈平:沼田小早川惣領家の当主。元清の父か。
  • 小早川敬平:沼田小早川惣領家の当主。元清の兄。

その他の関連項目

参考文献

  • 「第三章第四節 南北朝の動乱と室町幕府」(『瀬戸田町史 通史編』 )2004