生口 惟平(小早川 惟平)

いくち これひら

 南北朝初期に新たに創設された小早川氏の庶子家・小早川生口氏の初代。弾正左衛門尉。惣領家である沼田小早川氏当主・小早川宣平の子。

  暦応四年(1341)、小早川宣平は子の道祖鶴丸に沼田荘内安直方潟島新田内光包名及び同荘内の新田二町を譲るという譲状を作成している。この道祖鶴丸が後の生口惟平であり、生口氏はこの新田を得て小早川氏の新たな庶子家として始まることになる。

小早川氏の生口島進出

 康永元年(1342)十月、北朝方として伊予国へ出陣した小早川氏の軍勢は、その途上で南朝方が篭る生口島の城郭を小早川(小泉)氏平らの活躍で攻略する。これが小早川氏の生口島進出のきっかけとなる。後に同氏は生口島を沼田荘に取り込み、惣領家から分かれた惟平の本拠地を生口島に置かせて同島および瀬戸田浦の支配を固めていく。

合戦での活躍

 生口惟平は小早川氏の勢力拡大を担う一方で、同氏の有力戦力として各地を歴戦した。『小早川家文書』の「足利尊氏御判御教書写」によると、観応三年(1352)、惟平は京都近郊の八幡山の合戦に参加している。小早川氏は観応の擾乱では足利尊氏・義詮方に属して行動しており、惟平もその一翼を担っていたとみられる。

 惟平は翌年の文和二年(1353)に安芸入野城でも戦功を挙げて褒賞され(「足利義詮御感御教書写」)、貞治三年(1364)には小早川春平の上申で安芸西条合戦の際に忠節を尽くしたことを褒賞されている(「足利義詮御感御教書写」)。

関連人物

  • 小早川宣平:惟平の父。
  • 小早川貞平:惟平の兄。宣平から沼田小早川氏惣領家の家督を継ぐ。
  • 小泉氏平:惟平の兄。庶子家・小泉氏の初代。
  • 浦氏実:惟平の兄。庶子家・浦氏の初代。
  • 生口公実:惟平の子。

その他の関連項目

参考文献

  • 「第三章第四節 南北朝の動乱と室町幕府」(『瀬戸田町史 通史編』 )2004