針藻城
はりも じょう
三隅川河口左岸の独立丘陵に築かれ、海運の拠点である三隅湊の防備、支配を担ったと思われる海城。別名で鐘尾針藻城とも七櫓とも呼ばれる。
鎌倉期、三隅城主・三隅兼盛によって元寇に備えて築かれたといわれ、石見十八砦の一つに数えられている。南北朝期以降、三隅城の支城の一つとして本格的な城塞化が行われ、室町・戦国期には三隅氏の下で海運にたずさわった大賀氏が城主を務めた。弘治三年(1557)、針藻城主(三隅兼忠か)が尼子氏に内通したため、益田藤兼の攻撃を受け、針藻城は落城したという。
島根県浜田市三隅町古湊
関連人物
- 大賀兵部左衛門
- 三隅兼忠
その他の関連項目
参考文献
- 『日本城郭体系14 鳥取・島根・山口』 新人物往来社 1980