■ 新羅三郎の鎧 (義光甲冑) [シンラサブロウノヨロイ] 


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-主要参考文献ー

■藤田直紀・編 『棚守房顕覚書』 宮島町 1975

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 甲斐源氏・武田氏の祖・源義光(新羅三郎)から伝来したとされる安芸武田氏の重物。延文四年(1359)、武田信成の弟・氏信が安芸守護職を継承し、安芸武田氏を興した際、惣領家から氏信に分けられたものか。

  安芸武田氏は以降、分国守護(一国ではなく郡単位の守護)として安芸中枢部を押さえ、南北朝、室町、戦国の抗争を戦っており、その中で新羅三郎の鎧は、同氏の源氏、あるいは安芸守護家としての正統性を示す重要な象徴となったと思われる。
 天文十年(1541)、大内方の攻撃により、金山城が陥落して安芸武田氏が滅亡すると、主将・陶隆房から大内義隆に献上された。義隆はこれを厳島社家・棚守房顕を通じて厳島神社に寄進し、新羅三郎の鎧は、厳島神社の宝物として平重盛の鎧などが保管される寶蔵に納められた。

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