輪島索麺
わじまそうめん
戦国期、輪島で生産され京都にも「輪島索麺」の名で知られた一種のお菓子。索麺は、小麦粉を塩水でこね、油で細く引き伸ばして線状にし、日光に乾燥させて作るもので、中世、禅僧の点心(おやつ)用や酒の肴として嗜好された。
輪島索麺は戦国初期には京都にももたらされていたが、当時の京都相国寺・鹿苑院蔭涼軒主の日記『蔭涼軒日録』では、能登から届いた索麺は太細太黒で、不味く、遠来物であるだけが取り得だと、さんざんな評価を受けている。
しかし、戦国中期の天文年間ごろには能登名物の「輪島索麺」と喧伝されるようになっており、品質改良が進んでいることがうかがわれる。
生産地の輪島では河井、鳳至の両町に生産者組合である「索麺座」が結ばれ、生産・販売の体制が整えられていた。この輪島索麺は、能登守護・畠山氏や輪島の領主・温井氏によって、朝廷や幕府、本願寺にしばしば贈答品として送られており、また索麺が元来、禅僧の点心として好まれていた事情から、温井氏が保護政策を採り、同氏氏寺の禅寺・聖光寺が技術指導を行うとともに座の本所となっていたと推定されている。