ウーブリ(Oublie)

うーぶり

 中世フランスで好んで食べられていた菓子。上等の小麦粉を使い、酵母を用いずに練り上げた軽い生地でできていた。これを熱した二枚の鉄板に挟んで焼く。ゴーフル(gaufre)の原形ともいわれる。

同業組合の設立

 パリでは早くからウーブリの製造人組合が作られた。その規約は1270年に登録された後、1397年と1406年に補足されている。1566年、この組合はフランス王シャルル九世によって菓子屋組合に統合された。

 これら規則によれば、ウーブロワイエ(ウーブリ職人)と認められるには、5年間の修行と10ルーブルの免許料、1日に1000枚焼く能力が必要だった。当時はウーブロワイエがウーブリと軽い菓子を作り、パティシエは肉やチーズ、魚のパテを担当していたという。

 1517年のル・マン(フランス西部の都市)のウーブリ製造人規則では、コンパニオン(職人)は一時間あたり、自分で熱した三組の鉄板で、計300個のウーブリを作ることができるとしている。

ウーブリの販売

 中世、ウーブリはパリやその他の町でも作られていたが、特にリヨン(フランス南東部の都市)のものが評判が高かったとされる。ウーブロワイエたちは、鉄板に挟んで焼いた薄い生地を円筒形か円錐形に丸めて小さな籠に入れ、町で売り歩いたという。

ゴーフルの原形

 13世紀頃、ある職人が蜂の巣のような窪みのついた鉄板型を考案し、ウーブリの生地を焼くようになったのがゴーフルの始まりといわれる。当時、ミツバチの巣をゴーフル(gaufre)と呼んでいたのがその名の由来という。

Photos

市場・積出港

  • パリ
  • リヨン
  • ル・マン

人物

その他の関連項目

参考文献

  • フランソワーズ・デポルト(訳:見崎恵子) 『中世のパン』 2004 白水社
  • 河田勝彦 『「オーボンヴュータン」河田勝彦のフランス郷土菓子』 2014 誠文堂新光社