高麗鷹
こうらいたか
朝鮮半島から日本に輸入された鷹狩り用の鷹。中世の武士たちにとって鷹狩りは一種のステータスであり、鷹は威信品でもあったと思われる。その中でも朝鮮半島から舶来した鷹は特に珍重された。
織田信長も珍重
『信長公記』によれば天正九年(1581)四月、織田信長は溝口金右衛門から高麗鷹六連を手に入れ、「珍奇の由、御感なされ、御秘蔵、御自愛、斜ならず」とある。
宗氏の贈答品
朝鮮との進行交易を行った対馬島主・宗氏は、16世紀、北九州の覇権をめぐって争う大内氏と大友氏の両方と友好関係を保つ必要があった。そのため両氏とその重臣に挨拶や贈り物をこまめに行っており、その贈答に用いられた品として虎皮や木綿などの朝鮮の産物とともに鷹や箸鷹、隼をみることができる。
史料上では享禄二年(1529)に宗盛賢が大内義隆の家督相続を祝って贈り物をしているが、それは金覆輪の太刀と赤毛箸鷹一匹、虎皮一枚、照布五端、花席二枚であった。このとき宗氏は陶興房にもほぼ同様の贈り物をしているが、鷹のみはみえず、鷹が最上級の贈り物であったことがうかがえる。
その後も宗氏は大内義隆や大友義鎮ら大名、大内氏重臣の杉氏や陶氏、大友氏重臣・臼杵氏などに「博多公事」の礼や、陣祝、挨拶、または先方の所望に応じて鷹を贈っている。
不足する鷹
宗氏に対する鷹の要望は多く、あるときは大内氏と陶氏が同時に所望したため、結局両方断っている。この需要の理由として、大内氏らもが鷹を自らが使用する他に、幕府や他家への贈答品にも充てていたこが考えられる。