唐木綿

からもめん

 室町・戦国期、中国から輸入された木綿布。

中国における木綿生産

 中国における木綿の本格的普及は元代(鎌倉期)頃からであり、さらに1365年の明の太祖・洪武帝による木綿栽培奨励を契機として木綿栽培・織布が発展期を迎えた。

田舎木綿と唐木綿

 日本でも16世紀頃から木綿が本格的に生産される。しかし元和二年(1616)の駿府城の蔵の在庫を書き出した「駿府御分物御道具帳」では、国産の小倉木綿などを「田舎木綿」として唐木綿と区別している。唐木綿が上質の木綿布として珍重されていたことがうかがえる。

輸入の始まり

  日本への唐木綿の移出の早い例は宝徳三年(1451)、明国からの回賜品として遣明船の「人凡」(一般乗員)以下に「北絹・一反、木綿一反」が与えられている(『大乗院寺社雑事記』八月三日条)。また同じく『大乗院雑事記』応仁二年(1468)十月十九日条には六方衆管轄の布座と小物座が「木綿」売りの権利をめぐって争ったことがみえる。この際に小物座側は「唐物以下此の如き色々」は全て自分たちに扱う権利があると主張している。15世紀中頃、唐物の木綿、つまり唐木綿は新たな布商品として奈良の市場に出回り始めていた。

唐木綿の普及

  木綿は兵衣を中心に戦国期の日本では高い需要があり、16世紀には輸入量も増加したとみられる。大坂本願寺は天文十七年(1548)十二月に浅井長政に「唐木綿十端」などを贈った例をはじめとして、贈答品として「唐木綿」をしきりに用いている(『天文日記』)。また九州方面でも普及はすすんでおり、天正年間に豊後各地から伊勢御師に贈られた品物の中にも「唐木綿」がみえる。

その他の関連項目

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004