潮潟(後潟)

うしおがた

 中世「日本」の東の境界で、蝦夷ヶ島(北海道)との交易の拠点であった外浜(津軽半島の陸奥湾沿岸部)の港町の一つ。

 14世紀中頃、十三湊を本拠とする安藤宗季の庶子・道貞は、潮潟に拠点を構えて潮潟安藤氏の祖となっている。この時期、安藤氏惣領家は十三湊を中心に北方交易を展開しており、潮潟は外浜における同氏の中心拠点として位置づけられていたものと思われる。

 実際、14~15世紀にかけての築城と推定され、潮潟安藤氏の居館の可能性がある潮潟西方の尻八館遺跡からは、十三湊遺跡で出土した中世陶磁器よりも上質な中国製の白磁、青磁、天目などが数多く見つかっており、潮潟が北方交易の拠点として大きく栄えていたことがうかがわれる。

 また近世松前氏の記録である『新羅之記録』によると、永禄三年(1560)、蝦夷・松前を拠点とした蠣崎慶広は、外浜を支配していた北畠顕慶から津軽の船着場として潮潟野田玉川を与えられており、戦国期においても蝦夷ヶ島との海上交通の要所であったことが分かる。

その他の関連項目

  • 尻八館遺跡

参考文献

  • 綿貫友子 「中世陸奥国の海上交通と陸上交通」(柵原敏昭・飯村均・編 『鎌倉・室町時代の奥州』 高志書院) 2002