富田
とだ
飯梨川中下流域に面し、中世、出雲守護・京極佐々木氏やその守護代で後の戦国大名・尼子氏の本拠が置かれ、出雲国の政治的中心の一つとして栄えた城下町。飯梨川の水運により、北に中海、日本海、南は山陽路に通じ、また陸路により東の伯耆国、西の松江にも通じる軍事・交通の要衝でもある。
富田にはすでに古代から集落が形成されていたが、 鎌倉期、近江源氏の佐々木氏が出雲守護として入部して以降、出雲国の政治的中心を担うようになる。特に戦国期、強勢となった尼子氏のもとで大きく発展し、最盛期には飯梨川河口部まで約10キロにもわたって家屋が軒を連ねたという。
富田川河床遺跡
富田の町跡である富田川河床遺跡から中国・朝鮮や備前、瀬戸、唐津、伊万里などの陶磁器が出土しており、富田に広範な地域から物資がもたらされたことを物語っている。また、同遺跡からは朝鮮の人間が携えていたであろう小型の懐中用柄鏡が発見され、また富田城からは、朝鮮工人によって作成されたとみられる高麗瓦(李朝系古瓦)も発見されている。
高麗瓦
高麗瓦は豊臣秀吉の朝鮮出兵以後、各地で検出されているが、16世紀に遡るものは富田城と対馬の金石城の二箇所でしか確認されていない。美保関などの要港をおさえ、朝鮮との交易を行ったことが推測される尼子氏のもとで、富田城とその城下町に朝鮮系の文物がもたらされていたものと思われる。