瀬戸崎(仙崎)
せとざき
海に向かって突出た仙崎半島の先端部、青海島との海峡部に位置する港町。 青海島によって守られた仙崎、深川の両湾の結節点として日本海航路の要衝を占めた。
瀬戸崎の海上勢力
戦国期、瀬戸崎には通を本拠とする海上勢力・後根氏の拠点があったといわれ、天文二十年(1551)八月、山口を追われた大内義隆は同氏を頼って瀬戸崎にたどり着き、海路による脱出を図っている。『陰徳太平記』によれば、このとき後根壱岐守は若州(若狭)へ赴いていて留守にしていたという。通、瀬戸崎の勢力が日本海を舞台に広域で活動していたことが窺える。
彼らは戦時に水軍としても徴発されていた。永禄年間の毛利氏奉行人の連署状に「通・瀬戸崎其外近浦之仁等」が「石州表」において警固船活動を行ったことが記されている。
山陰と九州を結ぶ
毛利氏は山陰に複数の海関を設けて直轄支配していた。その一つの肥中関において九州舟が役料を逃れて近辺の港に入港する事態が発生し、毛利輝元は仁保元棟に肥中関の役料を彼の領地である瀬戸崎で徴収するよう命じている。このことから瀬戸崎は九州舟の主要な通過点であったことが分かる。
九州舟とは逆のルートではあるが、天正十五年(1587)五月、山陰を経由して九州に向かう細川幽斎も瀬戸崎に立寄っている。
Photos
神社・寺院
- 祇園社
- 極楽寺
人物
- 後根壱岐守
参考文献
- 秋山伸隆 「戦国大名毛利氏の流通支配の性格」 (岸田裕之編 『戦国大名論集6 中国大名の研究』 吉川弘文館 1984)
- 『長門市史』 1981