野辺地

のへじ

 下北半島の付根、陸奥湾東南の沿岸に位置し、陸奥国糠部郡(上北郡)と陸奥湾、日本海との結節点として南部氏領国の重要港湾を担ったと思われる港町。

 文禄二年(1593)のものと推定される南部信直の書状には、当時、文禄の役で肥前国・名護屋に出陣中の信直が兵糧米の購入と回漕のために、野辺地や横浜で「蝦夷船」を多数造り、出羽国仙北郡で米を購入して野辺地から回漕させることを求める旨が記されている。

 このことから当時、もしくは戦国期の野辺地が後背地で産出される檜材などを用いての造船地であり、野辺地-出羽間のみならず名護屋までも輸送船の運航が可能であった状況がうかがわれる。

参考文献

  • 綿貫友子 「中世陸奥国の海上交通と陸上交通」(柵原敏昭・飯村均・編 『鎌倉・室町時代の奥州』 高志書院) 2002