勝栄寺
しょうえい じ
南北朝初期の正平年間(1346-1370)に大内氏重臣・陶弘政によって建立された時宗寺院。山口善福寺の末寺で、開山は其阿(ごあ)上人。かつては周囲に土塁と環濠がめぐらしてあり、港町・富田の防衛拠点を担う城館的施設であったという。
弘治三年(1557)、周防国の反毛利勢力を鎮圧するため毛利元就が富田に進駐した際、勝栄寺を本陣としている。このとき、後の「三矢の訓」のもととなる「教訓状」を隆元、元春、隆景の三子に宛ててしたためたといわれている。
山口県周南市中央町
南北朝初期の正平年間(1346-1370)に大内氏重臣・陶弘政によって建立された時宗寺院。山口善福寺の末寺で、開山は其阿(ごあ)上人。かつては周囲に土塁と環濠がめぐらしてあり、港町・富田の防衛拠点を担う城館的施設であったという。
弘治三年(1557)、周防国の反毛利勢力を鎮圧するため毛利元就が富田に進駐した際、勝栄寺を本陣としている。このとき、後の「三矢の訓」のもととなる「教訓状」を隆元、元春、隆景の三子に宛ててしたためたといわれている。
山口県周南市中央町