勝栄寺

しょうえい じ

勝栄寺の境内をぐるりと囲んでいた土塁跡。かつては幅25~26mの環濠もめぐらしてあったというが、現在は埋め立てられている。
勝栄寺の境内をぐるりと囲んでいた土塁跡。

 南北朝初期の正平年間(1346-1370)に大内氏重臣・陶弘政によって建立された時宗寺院。山口善福寺の末寺で、開山は其阿(ごあ)上人。かつては周囲に土塁と環濠がめぐらしてあり、港町・富田の防衛拠点を担う城館的施設であったという。

  弘治三年(1557)、周防国の反毛利勢力を鎮圧するため毛利元就が富田に進駐した際、勝栄寺を本陣としている。このとき、後の「三矢の訓」のもととなる「教訓状」を隆元、元春、隆景の三子に宛ててしたためたといわれている。

 

山口県周南市中央町

 

Photos

勝栄寺に残る室町期の板碑。阿弥陀如来象の向かって右に「延徳三年」(1491)、左に「二月十五日」とあり、紀年銘のあるものは山口県下でもたいへん珍しいものだという。 勝栄寺に残る室町期の板碑。阿弥陀如来象の向かって右に「延徳三年」(1491)、左に「二月十五日」とあり、紀年銘のあるものは山口県下でもたいへん珍しいものだという。

関連人物

  • 陶弘政
  • 其阿
  • 毛利元就

その他の関連項目

参考文献