実際寺
じっさい じ
太田川上流の戸河内・土居地区(広島県安芸太田町大字土居)にある臨済宗寺院。南北朝期、戸河内を本拠とする神領衆・栗栖帰源によって建立された。上与一野に二百九十石五斗の寺領があり、現在にも寺領、寺領川の地名が残っている。
雪舟嘉猷の下向
開山は博多・承天寺や京都・東福寺の住持を歴任した高僧・雪舟嘉猷が京都から招かれてつとめた。雪舟嘉猷は当時、名高い高僧であるとともに知識人・文化人でもあり、実際寺は安芸西部でも有数の文化拠点となったと推測される。また雪舟嘉猷の墓塔(開山塔)といわれる無縫塔は安芸国でも非常に珍しく、また高い技術で製作されたものとみられる。実際寺を通じて各種の技術なども導入されたことが考えられる。
栗栖氏の衰退
その後、栗栖氏は天文十年(一五四一)に藤原氏系の厳島神主家が大内氏に滅ぼされたことを契機として衰退。天文二十三年(1554)に毛利氏の侵攻を受けて没落したとみられ、その過程で実際寺も兵火にかかって焼け落ちたといわれる。その後再建されたが、現在では無住となっている。