遍照寺
へんしょう じ
港町・笠岡の中心部に位置、同町の文化的中心をになったとみられる真言宗寺院。
寺伝によれば、元弘年間(1331-1334)に笠岡の国人・陶山氏によって現在の笠岡市吉田から移されたとされる。この時期は陶山氏が笠岡山に城を築いて移ってきた時期でもあり、城下振興の一環として笠岡の中心に据えたともみられている。
京都の北野天満宮経王堂において、応永十九年(1412)三月十七日から一切経の写経事業が行われているが、この写経事業に遍照寺の僧の参加している。確認されるのは覚真、定泉、瑛乗、頼順、宥兼の五人で、彼らは事業の大願主・覚蔵坊と「旧識」があったという。一寺からの五人の参加はかなり多いほうとみられ、背後には幕府奉公衆として京都との関係を有する陶山氏の存在があったとも考えられている。
その後、陶山氏の没落とともに衰退し、近世、幕府の備中代官・小堀氏のもとで復興が図られる。
岡山県笠岡市笠岡