李 王乞

り おうきつ

 中国・福建省・章州を本拠とし、16世紀中頃、銀を求めて日本との貿易に乗り出したとみられる中国海商。

 1544年六月、朝鮮の忠清道・藍浦(ラムポ)の近海に「荒唐大船」(荒唐船…倭船か唐船かが不明瞭な海賊船を指す朝鮮側の呼称)一隻があらわれ、藍浦僉使が賊倭(倭人の海賊)とみなして火砲をはなって追い払うという事件が起きた。後にこれは中国福建省の唐人が、銀を買うために日本へ向かう途中、嵐に逢って流されたものとわかったことが『朝鮮王朝実録』に記されている。

 さらにこの事件と符合すると思われる記事が中国・明朝の史書『明実録』嘉靖二十三年(1544)十二月の条にあり、李王乞らが貨を載せて「通蕃」(この場合は日本との貿易)しようとし、嵐に逢って朝鮮へ流され、朝鮮王は三十九人を捕獲して遼東郡司に械送した、とある。

 この件に関し、朝鮮・李朝の中宗は「興販唐船の日本に往来する者、必ず前後相望む」と述べており、この李王乞に代表されるような中国の貿易商人が、日本銀を求め、大陸と日本との間を盛んに往来している状況がうかがえる。実際、この1540年代は朝鮮の史料にしばしば荒唐船が出現しており、大陸-日本間の貿易活発化を反映しているものとみられる。

関連人物

その他の関連項目

参考文献

  • 村井章介 『中世倭人伝』 岩波書店 1993