湊山城

みなとやま じょう

洲崎の渡の三津浜側から眺めた湊山城。
洲崎の渡の三津浜側から眺めた湊山城。

 三津浜北方の入江の対岸にある小丘陵に築かれた山城。南北朝期、道後の湯築城に本拠地を移した河野通盛によって海辺防衛の目的で築城されたという。

  15世紀中ごろから始まる河野氏の惣領家と庶子家の抗争の際、庶子家・河野通春の本拠となり、湯築城に拠る惣領家との間で激しい戦いが展開された。

  惣領家方により陥落した後は、河野氏一族・忽那氏配下の湊山衆が入り、湊山城は海辺防衛の拠点として大きな役割を果たした。その後、天正十三年(1585)、豊臣秀吉の意を受けて伊予に侵攻した小早川隆景のもとで大規模な改修が行われ、翌年に立ち寄ったフロイスら宣教師等も「広大にして堅固な城」「非常に高く美しい城」と述べている。

愛媛県松山市港山

 

関連人物

その他の関連項目

参考文献

  • 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998