ガスタルディ世界図
がすたるでぃ せかいず
ヴェネチア共和国を代表する地図製作者であるジャコモ・ガスタルディにより作成され、1546年、ヴェネチアで刊行された世界地図。
この地図で注目すべきところとして、アジアの東北部と北アメリカの西北部とが陸続きになって形作られる大きな湾に「GOLFO DE TONZA」(トンツァ湾)と名づけられており、湾の中央に「Cimoaga」(正しくはCipamgu)、つまりジパング(日本)という名の島が浮いているという点である。この内、「TONZA」のNは日本語の鼻音を表すものであることから「TONZA]は土佐の音を表しているとみられ、フランシスコ・ザヴィエル来日の三年も前にヨーロッパで「トサ」という地名が知られていたことがわかる。
商人で冒険家のメンデス・ピントが記した『東洋遍歴記』によれば、1540年、ポルトガル人たちはカンボジア沖合の停泊地で、琉球船に乗ってシャム王国に行く「土佐の大使」と出合ったとされる。『東洋遍歴記』の刊行は1614年であるが、当時のヴェネチアはヨーロッパ有数の商業・海運国家であり、多くの情報が集まりやすく、ガスタルディには別のルートでいち早くポルトガル人の報告に接する機会があったものと思われる。いずれにせよ、ヨーロッパに知られた最初(?)の日本の地名が「トサ」というのは興味深いといえる。
関連人物
- ジャコモ・ガスタルディ
- メンデス・ピント
その他の関連項目
参考文献
- 海野一隆 『地図に見る日本ー倭国・ジパング・大日本ー』 大修館書店 1999