鉄(豊後)

てつ

 豊後国、特に国東半島で大量に精錬されたとみられる鉄素材、及びその製品。

 国東半島では鉄滓(金糞)が各地で多く出土しており、また「カジ」や「タタラ」、「カナクソ(金糞)」など製鉄に関係する地名が多く残っているなど、鉄生産との関わりの深さがうかがえる。「カナクソ」などの地名は少なくとも16世紀まで遡ることが確認されている。

  正安二年(1300)八月の「小松雑掌公祐和与状」には、国東半島の安岐郷諸田名の年貢が「鍬百二十口」で徴収されていたことが記されており、同地では鉄資源を利用した鉄製品の製造が盛んであったことが窺える。また西国東の夷山(夷谷)では、永禄四年(1561)の「夷山例進料足等勘定状」により、「白布・鍬弐百七十四端」が大友氏やその庶流卯・吉弘氏に納められていたことが分かる。

 この「勘定状」を作成した隈井氏も、16世紀中頃、料足として布や鍬、「切鉄」(鉄素材)を貢納しており、鉄生産を掌握する立場にあったものとみられる。

  東国東の岐部においても、戦国期、同地を支配した岐部氏が大友氏への八朔の祝儀として太刀や雁股などの他に「切金」「切鐡」などの鉄素材を贈っており、さらに大友氏の要請に応じて鉄素材の「地鐡」や雁股などの武器の供給も行っている。

 大友氏はこのように岐部氏や隈井氏らを通じて国東半島の鉄を支配していたのであり、このうち鉄素材は、さらに大友氏直轄の賀井本鍛冶や豊後刀生産の中心である高田鍛冶などに供給されたと思われる。

市場・積出港

その他の関連項目

  • 豊後刀

参考文献

  • 飯沼賢司 「「鍛冶の翁」と「炭焼小五郎」伝説の実像―中世の豊前・豊後の金属生産の問題」(網野善彦・石井進・編 『中世の風景を読む7 東シナ海を囲む中世世界』 新人物往来社 1995