南蛮合羽

なんばんかっぱ

 戦国期、ポルトガル人によってもたらされた雨天の外出の際に身にまとう外套の一種。合羽の語源はポルトガル語の“capa”といわれ、日本には羅紗(毛織物)、もしくは天鵞絨(ビロード)製のものが持ち込まれた。

 『上井覚兼日記』の天正十三年(1585)二月廿七日条では、覚兼が肥前の有馬晴信の進上品の「(南蛮)かんは」について、「蓑之ことく雨降にめされ候ても不苦候御打掛」と説明しており、雨具としての認識があったことが分かる。

  『日記』にみえる有馬氏は、イエズス会と結んで南蛮貿易を行っており南蛮合羽はそこで入手したとみられる。イエズス会も南蛮合羽が日本で珍重されることを認識しており、ルイス・フロイスは書簡の中で日本の大身が好むものの一つとして「ポルトガルの羅紗のカッパ」を挙げている。

 またフロイスは『日本史』の中で織田信長が緋色の合羽を箱に入れていたと記している。信長は上杉謙信にも赤地牡丹唐草文様のビロード製の外套を贈っている。

  フロイスの別の書簡によれば、信長はインドやポルトガルの衣服に興味があったらしく、信長には「武士、坊主、市民」らから「緋の合羽」をはじめとする大量の舶来品が贈られている。これについてフロイスは、その量自体とともに、どうして遠く離れた日本にこれだけの品があるのか、どこでポルトガル人から入手したのかについて驚いており、南蛮合羽をはじめとする南蛮貿易品にはイエズス会も把握できない様々な入手経路があったことが窺える。

市場・積出港

参考文献

  • 東京大学史料編纂所・編 『大日本古記録 上井覚兼日記 中』 岩波書店 1955
  • 村上直次郎・訳 渡邊世祐・注 『異国叢書』耶蘇会士日本通信・下 雄松堂書店 1928