唐糸

からいと

 15世紀以降、日本に本格的に輸入された中国産の生糸。15世紀、国内の絹織技術の向上に伴い、高級生糸としての唐糸の需要も高まったといわれる。

唐糸の価値

  『大乗院寺社雑事記』文明十二年(1480)十二月二十一日条で、貿易商人・楠葉西忍は日明貿易について「唐船之理(利)ハ不可生糸也」とし、唐糸輸入が莫大な利益を生むことを示している。また唐糸一斤(二五〇目)の日本での価格は五貫文であり、日本産の銅・金と「明州・雲州糸」の交換により、元手の4~5倍の利潤を獲得できたという。

銀との交換

 16世紀になると石見銀の増産にともない、唐糸の買付けは銀との交換が主流となる。明人・鄭若曾が編纂した『籌海図編』では、「糸」について百斤が銀五、六十両に達し、日本では中国の糸価の十倍となったと記されている。さらに同世紀後半からはポルトガル船が生糸貿易に参入するが、一説には彼らが中国などからもたらした生糸は年間十五万斤にものぼり、対価として輸出された銀は五、六千貫以上にも達したといわれる。

原価が安い高級品

  莫大な唐糸輸入の背景には、京都や奈良、越前など絹織の特産地での大きな需要があった。一方で唐糸は国内市場で必ずしも至上の生糸だったわけでもなかった。『大乗院雑事記』文明十九年(1487)三月条からは、奈良綾の原料として唐糸と越前糸の両方が使用され、値段もわずかではあるが越前糸の方が高く評価されていた。つまり国産高級生糸に品質で比肩し、かつ原産地では極端な安値で仕入れることができる生糸が唐糸だった。唐糸輸入のもう一つの背景に、この日本・中国間の地域的価格差があったことも考えられる。

人物

  • 宗柏

その他の関連項目

  • 越前織
  • 越前糸
  • 奈良綾

参考文献

  • 佐々木銀弥 「中世末期における唐糸輸入の一考察」 (『日本中世の流通と対外関係』 吉川弘文館 1994)