夷鮭

えぞさけ

 蝦夷地(北海道)でアイヌの人々によって採られ、乾燥加工されたとみられる鮭。

蝦夷地の代表的産物

 「夷鮭」は、南北朝期成立の『庭訓往来』が紹介する各地の特産品の中の一つとしてみえる。同じくみえる「宇賀昆布」とともに蝦夷地を代表する産物として全国的な認識を得ていたことがうかがえる。

津軽船の積荷

  嘉元四年(1306)九月、越前国・三国の住人らが越中国・放生津の沙弥本阿が船主となっている「関東御免津軽船二十艘之内随一」の大船を漂倒船と称し、積荷を押領する事件が起きた。その際、押領された積荷には鮭が含まれていた。「津軽船」の積荷であることから、この鮭は夷鮭とみられる。既に鎌倉期には日本海を運航する廻船によって北陸、畿内方面にもたらされていたことが分かる。

アイヌ人の交易品

  近世初期の史料ではあるが、元和四年(1618)、蝦夷の松前領に潜入したキリスト教宣教師・アンジェリスの報告によれば、毎年東部のほうにあるミナシの国から松前へ百艘の船が、乾燥した鮭やニシン、ラッコ皮をもってきたという。これは、おそらく中世においても同様であり、鮭など北海の産物は、アイヌ人によって宇須岸や松前といった蝦夷地の和人拠点、あるいは十三湊など津軽の港にもたらされ、そこから日本海水運で全国に流通したのだろう。

市場・積出港

参考文献

  • 海保嶺夫 『エゾの歴史 北の人々と「日本」』 講談社 1996