与市(余市)

よいち

 道南の積丹半島の東の付け根・余市川河口部に形成され、中世、蝦夷地(北海道)に進出した和人の最前線を担ったと思われる港町。

 松前藩編纂の史書『新羅之記録』には過去に和人が「与依知」(与市)方面まで住んでいたと記されている。実際、余市の大川遺跡からは14~15世紀前半の陶磁器がまとまって出土しており、和人集落の存在を裏付けるとともに、これらの出土品が十三湊最盛期の出土品と同じ物であることから、与市が十三湊を核とした北方交易の最北端であり、アイヌとの交易の最前線に位置する港であったことがうかがえる。

 しかし、与市は長禄元年(1457)のコシャマインの蜂起の影響で大きな被害を受けたといわれ、以降、与市の和人たちは南の上ノ国方面へと撤退していったと思われる。

参考文献