塩湯(湯郷)

しおゆ

 美作国・吉野川沿いに位置する宿場町。中世、温泉町として、また美作の勝田郡と備前を結ぶ街道の要衝としても栄えた。平城京の木簡に「美作国勝田郡塩湯郷」とあるように、温泉の歴史は奈良・平安期に遡る。

温泉町

 観応元年(1350)の山名義理書状で後藤下野守が塩湯郷地頭職に推挙されて以後、同郷には東作地域に勢力を張った後藤氏の支配が及んでいた。永享十年(1438)八月付けの美作国塩湯郷地頭職掟書写によれば、地頭・後藤良貞は塩湯郷に対し、祭礼や造営に関する様々なことを定めている。その中で、湯大明神(湯神社)を「旅人勧進物」などで毎年修理することや、湯屋造営に関する地下人役のこと、「湯旅人役銭」のことなどが定められている。

 当時、塩湯郷には温泉施設が造営・維持され、「旅人」たちが役銭を払ってそこを利用していた。塩湯郷ではこれら温泉施設を中心に宿場町が形成されていたと推定される。

赤松氏の逗留

 塩湯郷には守護・赤松政則も湯治のためにたびたび訪れている。『蔭涼軒目録』長享二年(1488)十月四日条では赤松が「湯泊」のために先月十九日に美作に下向したこと、同月十五日条では湯治のために垪和新三郎宅に逗留していたことが記されている。湯治の場が塩湯郷であったことは延徳二年(1490)六月廿三日条に赤松が湯郷での湯治が終えて播磨に戻ったことが記されていることからうかがえる。

神社・寺院

  • 湯神社

参考文献

  • 『岡山県史 第十九巻 編年史料』 1988