久能寺浦

くのうじ うら

 駿河国有度郡根古屋、駿河湾に面する久能山の山麓に位置した天台宗寺院・久能寺の寺領内に形成された港町。中世、久能寺浦の船は久能寺に掌握され、少なくとも今川氏領国各地に運航し、商業活動を行っていた。

浦を支配する寺

 南北朝期以降、久能寺には駿河国守護・今川氏によって様々な権限が付与されている。その中には寺領一帯の浦支配に関するものも含まれており、ここから久能寺浦の性格を知ることができる。

 大永六年(1526)、享禄五年(1532)および天文十一年(1542)の今川氏判物によれば、久能寺浦での寄木の収得権、汲潮および焼塩が認められている。また浦への船の繋留については「殺生禁断ノ為、当浦ニ船ヲ繋グベカラズ」とある。これは寺領の性格上、漁船の繋留が禁じられたものとみられる。

久能寺の海上活動

 永禄八年(1565)、久能寺の観音堂再興にあたって発給された朱印状には、観音堂再興の間は「立夫櫓手」(水夫の徴用)、「公事綱」(船道具としての綱の供出?)、「船別出入役」(船別に課される役と他の諸港への出入役)、「惣海賊之役」(分国中の船とその操舵者に対する総動員と水軍への編成)を免除するとある。この史料から、久能寺は浦に船を有し、各地へと運航させて寺の収益としていたこと、さらにその船と水夫が今川氏水軍の一端を担っていたことが分かる。

神社・寺院

  • 久能寺

参考文献

  • 綿貫友子 『中世東国の太平洋海運』 東京大学出版会 1998