小松原(富安)

こまつばら

 紀伊国日高郡の日高平野、富安荘内の宿場町。中世の熊野参詣路が町域を北から南に貫通する交通の要衝に位置した。戦国期、幕府奉公衆で有力領主の湯河氏の城下町であり、地域経済の中心でもあった。

湯河氏の本拠

 寛正三年(1462)、湯河惣領家が庶子家に宛てた書状が「こまつ原」から発信されている。湯河氏がこの頃には小松原を本拠としていたことがわかる。湯河氏はここで参詣人から関料を徴収していた。停留させられたこの参詣人の富が、湯河氏及び小松原の発展の基盤となったとみられる。

熊野道沿いに並ぶ町屋

 戦国期の小松原の様子は慶長六年(1601)の下富安村(小松原)の検地帳から推定できる。この検地帳によると、当時、下富安村には貢租負担の屋敷が百十軒あり、多くの町人が住んでいたことがわかる。この屋敷のうち、百五軒は「はいかせにし道」、「西道」に集中しており、戦国期の小松原は熊野参詣路に沿って町家が並んでいたことが想定されている。

発展の背景

 この発展した町家形成の背景には、前述の湯河氏による関の設置があったとみられる。同時に戦国期、湯河氏は日高平野とその周辺地域に裁判権などの権力を確立しており、小松原はこの地域の政治的中心でもあったとみられる。湯河氏の城下である小松原には同氏の消費を支える商工業者が集住したと思われ、この過程で地域における分業流通の中心地としての地位を確立したものとみられる。

城郭

  • 亀山城

参考文献

  • 矢田俊文 「第五節 戦国期の奉公衆」 (『日本中世戦国期権力構造の研究』) 塙書房 1998