上原

かんばら

 備中の大河川・高梁川下流部に位置する市庭町。中世、東福寺領上原郷の中心として栄えたとみられる。

市庭の形成

 明徳三年(1392)の「上原郷未進徴苻案」に「市 十郎太郎」の記載がみえ、さらに応永三年(1396)の「上原郷半済方散用状」にも「市庭屋敷分地子」が挙げられている。上原郷に市庭が形成されていたことが分かる。また応永五年(1398)の「上原郷内得岡名田畠土貢目安」には「古市跡」に屋敷が三十三余りがあったことも記されている。

 上原の市庭で取引された品目は明らかではないが、上原郷の年貢品目等から米や麦、大豆、蕎麦などがあったとみられる。

高梁川の水運

 上原には高梁川流域からの物資も川を下されて運ばれたものと思われる。延文二年(1357)七月、上原郷を押領する美作彦四郎の違乱を停止するよう幕府が守護・細川頼之に命じており、高梁川上流部、美作と上原との間に密接な結びつきがあったことがうかがえる。

上原の住人

 また文明十二年(1480)の「備中国上原郷内検帳」には「紺屋掃部」、「下原大工」などの名がみえ、市庭における職人の存在も推測することが出来る。同史料には他に「散所大夫」の名もみえており、後世、南の富原に集住した民間陰陽師の「上原大夫」との関連も指摘されている。

守護勢力の伸張

 15世紀中頃にもなると、上原にも武家勢力の支配が及ぶようになる。文安元年(1444)、上原郷百姓が東福寺に対し、庄主の横暴とともに、守護勢力が上原郷を成敗(支配権の行使)していることを訴えている。

神社・寺院

  • 神神社

参考文献

  • 『岡山県史 第十九巻 編年史料』 1988