左沢

あてらざわ

 大河川・最上川の上流部、同河川が大きく蛇行した地点に位置する集落。中世には大江左沢氏の居城・楯山城の城下町でもあったとみられる。

最上川の河港

 近世の最上川水運の河岸、船着場には高い確率で楯山城のような中世城館が存在しており、中世の領主層が最上川水運に深く関わっていたことを示している。調査によれば、この盾山城の最上川に面した南西の麓の「元屋敷」の地には中世の居館や町場が存在し、最上川の中洲には「川原市場」があったとされる。

 近世の左沢は、最上川河口・酒田湊から「ひらた船」が遡れる上限とされる。さらに上流に向かう小鵜飼船の積替え地として繁栄しており、中世においても河川水運の要衝として市場などが立って栄えていた可能性が高いとみられる。

楯山城域の山岳都市

  また楯山城についてみると、城の随所に川の監視のためと推定される構造があり、城と河川水運との関係を窺うことができる。さらに戦国末期の遺構からは、城が多くの段に削平されていたことが分かる。この段の幾つかの場所の発掘では、家屋の跡が発見され、数十年から百年以上にわたって家屋の敷地として利用されていたことが解明されている。城域には約三百棟とも推測される家屋が密集していたともいわれる。

 一方で城跡からは食器の断片のような生活用具はほとんど発見されておらず、無人の「山岳都市」の様相を呈している。このことから楯山城は、戦国期の戦禍から逃れるために、左沢住民が準備した緊急避難場所としての機能を担っていたとも考えられている。

城郭

  • 楯山城

参考文献

  • 藤井尚夫 『ドキュメント戦国の城』 河出書房新社 2005
  • 市村高男 「中世出羽の海運と城館」 (伊藤清郎・山口博之 『中世出羽の領主と城館 奥羽史研究叢書2』 高志書院 2002)