生産地

備後国帝釈峡

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備後砂

びんごずな

 備後国帝釈峡・夏森で産出された白色粒状の石灰石。

金屋通り。江戸期の町並みが残る中・近世の柳井市街のメインストリート。
白壁が映える柳井の金屋通り。

 厳密には石灰石が黒雲母花崗岩の貫入を受け、その接触部が熱のため変質して糖晶質になった結晶質石灰岩であり、特に備後砂は日本で採掘されるもののうちでも炭酸カルシウム純度が極めて高く、良質であるとされる。

 室町期、枯山水式石庭や盆石(黒い盆の上に砂を敷き、石を配置するなどして箱庭を造形する芸術)の流行の中で、その敷砂として珍重された。享禄三年(1530)、越後上杉氏は、同氏の京都駐在員である「在京雑掌」・神奈実綱を通じて備後砂の入手を図っているが、備後砂は当時京都でも「稀物」であったという。

 この備後砂の産出地を支配していたのが備後の有力国人・山内氏であった。山内氏は将軍・足利義輝に太刀や馬とともに備後砂を献上しているが、この備後砂は将軍家の庭に敷かれるとともに、「京都無比」と驚かれ、秘蔵の品とされた。同時期、山内隆通は義輝から毛氈鞍覆・白笠袋を免許され家格を高めており、備後砂が外交上重要な役割を果たしたことがうかがわれる。

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柳井の金屋通り②

市場・積出港

  • 尾道

人物

  • 仮屋三郎左衛門尉
  • 柳井郷直

その他の関連項目

参考文献

  • 岸田裕之 『大名領国の経済構造』 岩波書店 2001