宇佐八幡宮

うさ はちまんぐう

宇佐八幡宮・本宮の社殿。
宇佐八幡宮・本宮の社殿。

 現在でも全国各地で祀られている八幡神の総本社。

 八幡神は欽明天皇三十二年(571)、宇佐御許山にあらわれたといわれ、元来は宇佐宮周辺で信仰される地方神であった。この八幡神の祭祀を司っていたのが大神氏や辛島氏ら渡来系の氏族であることから、起源は彼らが大陸で祭っていた祭神ではないかともされる。

  養老四年(720)、大和朝廷による隼人出兵の際に朝廷側が八幡神を守護神として以後、朝廷の崇敬を受けるようになり、さらに天平勝宝元年(749)、東大寺大仏造営を援助したとして、八幡神は皇族と同等の一品に列せられる。この時期、八幡神を祀る宇佐宮も「官社」とされ、莫大な封戸を得て、境内に弥勒神宮寺も建立されている。

  貞観二年(860)、京都男山に八幡神が勧請され、石清水八幡宮が創建されると、中央政権は石清水との結びつきを強めるようになる。10世紀以後、宇佐宮は荘園を集積して九州最大の荘園領主となるが、一方で、宇佐宮は石清水八幡宮の支配下となり、九州の有力神社という立場となる。その所領も鎌倉期以降、周辺武士の度重なる押領によってしだいに減少し、宇佐宮自身もたびたび火災に遭うなど、勢力は衰退に向かっていく。

 それでも八幡神を守護神とする武士の信仰は厚く、特に周防守護で九州にも勢力を持つ大内氏は宇佐宮を支援し、永享三年(1431)には同氏による宇佐宮大造営が完了している。

大分県宇佐市宇佐

 

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宇佐八幡宮・本宮。 宇佐八幡宮・下宮 宇佐八幡宮・境内

関連人物

その他の関連項目

参考文献

  • 大分県立歴史博物館・編 『八幡信仰とその遺宝』 2001