高昌寺(浄久寺)

こうしょう じ

高昌寺の伽藍。
高昌寺の伽藍。

 内子八日市(旧七日市)の北の丘陵上に位置する曹洞宗寺院。戦国期、曽根郷の領主・曽根高昌の帰依を受け、門前には新市(七日市)が立つなど、内ノ子の北の中心として栄えた。

  高昌寺の前身は嘉吉元年(1441)に開かれた浄久寺とされ、もともとはさらに北の麓川沿いにあったという。その後、天文二年(1532)に現在の高昌寺の位置に移ってきた。そして当時の領主であった曽根高昌の帰依を受けてその菩提寺となり、弘治二年(1556)、高昌が没するとその諱をとって「高昌寺」と改称された。

  近世に記された『大洲旧記』 には、内ノ子が曽根領になった後は、廿日市願成寺の旦那の大半が高昌寺の旦那となり、そのため願成寺が無縁寺となったと記されており、曽根氏の保護のもとで高昌寺が栄えたことがうかがえる。

 同じく『大洲旧記』によれば、戦国期、それまで繁昌していた廿日市の市に対し、高昌寺門前に新たに市が立てられている。これも高昌寺の繁栄をうかがわせるが、この新市(七日市)自体は、近世に入るまでそれほど栄えなかったようである。

愛媛県内子町城廻

 

関連人物

  • 曽根高昌

その他の関連項目

参考文献

  • 豫陽叢書刊行會 『豫陽叢書 第八巻』大洲舊記 1938