ドン・トマス・フェリペ・ハポン
どん とます ふぇりぺ はぽん
1622年、スペインのセビリアに在住していた日本人。スペインのインディアス文書館に所蔵されている「ドン・トマス・フェリペ・ハポンによるフィリピン諸島帰還請願書」にその足跡の一端をみることができる。
なお彼が日本人であることは、姓が「ハポン(Japon)」であることから分かる。当時、姓代わりに出身地名を付ける習慣に則って、トマス・フェリペはハポンの姓を名乗ったものと思われる。
上記の「請願書」によれば、トマス・フェリペは渡来元のフィリピン諸島に戻るために同請願書をインディアス顧問会議に提出し、1623年6月12日に承認を受けている。このとき、1622年11月3日付で発行を受けたスペイン国王の帰還許可の勅許状も添付していた。
当時、日本人はスペイン領のフィリピン・マニラに在住していただけでなく、そこでスペイン人の使用人となってメキシコやペルーに流れ、さらにはスペイン本国にまで渡っていた。このことはインディアス文書館やマドリード国立図書館所蔵のスペイン史料などから確認できる。その中で唯一、トマス・フェリペのみが、名前に敬称である「ドン」がつけられており、彼がスペイン人の使用人ではなかったことが分かる。
トマス・フェリペのスペインへの渡航ルートは、彼はフィリピンから渡航したということが唯一の情報とされる。このため、少なくとも仙台からメキシコまで直行した支倉常長らの遣欧船の乗船者ではなかったようである。
なお、トマスフェリペが得た勅許状の日付は1622年11月3日であり、支倉常長の使節随行者のスペイン滞在(1614年~1616年)よりも後のことであった。
関連人物
- ドン・トマス・フェリペ・滝野カフェオイエ:支倉使節の一員。使節帰国後もスペインに残留した。
- ファン・ルイス・デ・ベラスコ:日本人。メキシコ副王ルイス・デ・ベラスコに雇われスペインに渡航した。
- ドミンゴ・ロペス:日本人。ドミニコ会に関わりメキシコからスペインに渡航した。
その他の関連項目
参考文献
- 的場節子 「日本人の南方進出と日西遭遇」(『ジパングと日本 日欧の遭遇』 吉川弘文館 2007)