陶 興昌

すえ おきまさ

 大内氏の重臣、陶興房の長男。 隆房の兄。

周南市大字下上横矢の海印寺に安置されている興昌の宝篋印塔(画面中心)。
周南市大字下上横矢の海印寺に安置されている興昌の宝篋印塔(画面中心)。

 『近世防長諸家系図総覧』の陶氏系図によれば、興昌は興次ともいい、享禄二年(1529)四月二十三日に二十五歳で死去したとある。六年前の大永三年(1512)に父とともに安芸に従軍し、その途中で病を患ったという。

 周南市大字下上横矢の海印寺に興昌を供養した宝篋印塔が残されている。塔身には「春翁透初/享禄二六月十二日」と興昌の法名と紀年が記されている。興昌の死後、四十九日目に造立されたことが分かる。

Photos

関連人物

  • 陶興房:興昌の父。
  • 陶隆房:興昌の弟。

参考文献

  • 播磨定男 『山口県の歴史と文化』 大学教育出版 2002