平池 大隅

ひらいけ おおすみ

 鎌倉末期の讃岐国仁尾の住人。元徳二年(1330)三月二十五日付の人身売買文書中に「平池大隅殿」としてその名が見える。

本拠地

 詫間荘延包名平池を本拠地としており、嘉暦二年(1327)当時、仁尾村内にも一町四反余の田畠を有していた(公文代某等注進状写「賀茂神社文書」)。

人身売買と飢餓

 元徳二年(1330)三月二十五日付の人身売買文書は、仁尾に隣接する草木荘の住人・藤六と姫夜叉女夫妻が、八才の千松童を詫間荘仁尾村の「平池大隅殿」に「直銭」五百文で売買した祭のもの。文中には「身命たすけかたく間」「餓身ヲ助からんために」「わか身とも助かり候うへ」「此童も助かり、ワか身ともに助かり候うヘハ」などとあり、春期に食料が欠乏する中世社会の飢餓状況を如実にうかがう事ができる。

 藤六夫妻の住む草木荘と詫間荘は隣接の荘園。一方の住人が飢餓状況に陥る状況であってもなお、童子を即金で買得することができることからしても、平池大隅はかなり富裕な有力者であったのだろう。平池大隅のその後は不明だが、これ以後、仁尾の有徳な住人による寄進・売買・相博などが史料上にしばしばみえるようになる。

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関連人物

  • 藤六:讃岐国草木荘の住人。姫夜叉女の夫。千松の父。

参考文献

  • 市村高男「中世港町仁尾の実像と瀬戸内海海運」(市村高男・上野進・渋谷啓一・松本和彦 編『中世讃岐と瀬戸内世界 港町の原像:上』 岩田書院 2009