後藤 宗福
ごとう そうふく
戦国期、周防山口を拠点に活動した金工(金属に細工をする美術工芸)の職人。
長門国阿武郡の武氏八幡宮(山口県萩市大字上小川東分)には天正十一年(1583)八月十四日に奉納された如来形坐像の懸仏※1が伝来している。その鏡板の墨書銘には「於防州山口調之作者後藤宗福 八十余歳本願」という文言があり、その作者が周防山口の後藤宗福であったことが分かる。「八十余歳」とあることから、その活動の盛期は天文の初めごろ、大内義隆の治世と考えられる。
宗福の作品は周防の岩屋寺(山口県周南市大字下上)にも遺されている。金銅造(銅や青銅に金メッキする技法)の柄をつけた香炉で、柄の裏側に「奉寄進境智院願主後藤宗福山口永禄二年卯月廿八日」との陰刻がある。永禄二年(1559)は天正十一年(1583)の24年前であり、宗福60歳代の作品と推定される。この香炉は形もよく整い、蓋・基台や柄の取付け部に見られる彫金・鍛金技術も優れており、凡手でないことがよく判るという。
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関連人物
- 松尾重守:天正十一年当時の武氏八幡宮別当。式部丞。鏡板の墨書銘に名がみえる。
その他の関連項目
脚注
- ※1:鏡に仏像を直接線刻したり、又は薄肉彫りに打ち出したり、貼り付けたりしたもの。
参考文献
- 臼杵華臣 「大内氏時代の金工」(山口県立美術館編 『大内文化の遺宝展』 1989)