藤井 輔縄

ふじい すけなわ

 16世紀後半から17世紀初めにかけて活動した炮術師。一二斎。河内守とも。南蛮流炮術の開祖。

天下無双の炮術師

 江戸初期の兵学者・日夏繁高は『武芸小伝』の中で17世紀前後に活躍した炮術の名人として九名の消息を伝えているが、その中で津田監物や稲富一夢らとともに藤井河内守を挙げている。『武芸小伝』では「藤井河内守は一二斎ともいい、炮術の達人で、末流が諸州にいる」と記されている。

 慶長十七年(1612)六月二十二日、一二斎は明石右衛門大夫に自署の秘伝書「万捨之一集」を授けた。この秘伝書は現存しており、「輔縄」と署名してある。同じ時期の秘伝書にも「藤井一二斎輔縄」「天下無双」とみえ、さらに丹波篠山藩の炮術師中山家に伝来の秘伝書には「きん(禁)中御免天下無双」「天下一、かいざん(開山)藤井一二斎介縄」とあり、これらの表題には南蛮流と明記されている。

 藤井河内守(一二斎)は実名を輔縄あるいは介縄と書き、天下一、天下無双の鉄炮の名人で、南蛮流の開祖であったことがこれらの秘伝書から分かる。「天下一」「天下無双」は自称ではあるが、その道の第一人者を示す公称でもあった。※1

炮術流派、南蛮流の祖

 中山家伝来の慶長十九年(1614)八月の秘伝書の奥書には「生国山城の住」とあり、一二斎の出身地が山城だったことが分かる。 その他、現存する南蛮流の秘伝書によれば、一二斎は年少の頃から炮術の修行に没頭し、長じて諸国を遍歴し、諸流の秘伝を学んで南蛮流の一流を創始したという。真偽は怪しいものの、中国に渡り明師から小筒一流の秘術の伝授を受けて帰国した、というものもある。

 また秘伝書には「秀次様御秘蔵之薬大風乃方」の一節がある。このことから一二斎が羽柴秀次に炮術を教えていた可能性もある。

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関連人物

  • 羽柴秀次

その他の関連項目

  • 南蛮鉄炮:海外から直接移入された鉄炮。
  • 異風筒:南蛮鉄炮をもとに作成された鉄炮。

脚注

  • ※1:元亀四年(1573)、織田信長は京都奉行・村井貞勝に「天下一号ヲ取モノ、何レノ道ニテモ大切ナル事也。但シ京都諸名人トシテ内評議有テ相定ムヘキ事」と定書を出した。「天下一」の号は諸名人の評議で決定される公許制だった。

参考文献

  • 宇田川武久 『真説 鉄炮伝来』 平凡社 2006